過去と未来の間_子ども学会議in沖縄

こんにちは!

理事の大塚千夏子です。

今日は9月11日。
2001年の同時多発テロ事件から25年が経ちました。
あの時、これから世界はどんなことになってしまうのだろうと
思いながらテレビ画面を眺めていたことを思い出します。

さて、先週の報告をします。
私たち日本こども成育協会が賛助会員として参加している
日本子ども学会の年次大会「第22回日本子ども学会学術集会」に
参加してきました。

開催地は沖縄。

台風が迷走する9月5日(土)・6日(日)に全国から

「子どもは未来である」

の言葉に導かれた多くの研究者や実践者が集まりました。

 

その1日前。

大会長である服部智恵子さん(OGU未来者代表理事)の
コーディネートで催されたエクスカーション(見学会)では
私たちが知らない日本の姿を見ることができました。
そのレポートと所感を今週はお届けします。

服部さんの案内が無ければ訪れる事のない場所
2か所をバスで巡りました。

いずれも沖縄中部の恩納村。
隣り合わせるように存在している施設の見学です。

 

■北北西を向く核ミサイル発射台

まずは冷戦時代の遺構。

アメリカ占領下にあった沖縄には1300を超える核弾頭が配置されていたそうです。
そして、沖縄本島の4箇所の核ミサイル発射台が設置されていました。

そのことをほとんど知ることなく私たちは生活しています。

現在の日本においてはありえない設備が
かつて配置されていた場所が1か所だけ残っているとのことで
訪れることができました。

それは丘の上にありました。
8基の発射台であった堅牢な構築物は思ったよりも大きくなく

それでも、その目線は
当時のソ連(南東部)を射程距離に北北西の空を向いていました。

もしもここから一発でも発射されていたら今の世界はなかったのでしょう。

 

記念施設として化粧直しをされた外観とは打って変わって

当時の地下司令室に向かう地下通路(通常は見学コースに含まれない)は
当時の姿そのままで
米軍兵士たちの往来を生々しく感じることができました。

ガラス越しに見る指令室は、
機材は撤去されて、地下水が溜まっているだけでしたが

ここで国家元首の選択の下、
指令を待っていた人がいたのだと想像すると
誰かのギリギリの理性の上で私たちは生活していると気づきます。

 

■探求の楽園

その次に訪れたのは通称OIST。

沖縄科学技術大学院大学のキャンパス内の見学でした。

地獄へのスイッチがあった場所から
バスでたったの5分の距離にそれはありました。

沖縄の原生林の尾根を伝うように建てられた建築と橋を渡り
サイエンスコミュニケーターに導かれながら
研究者の行きかうLabへ向かって行きました。

その景色は完全に未来であり
その礎になる科学技術の探求者が世界中から集まる環境でした。

 

 

研究者だけではなく基礎研究を積極的に支えるための
出資者や資金が集まる仕組みも整っているそうです。

その代わり、5年ごとにユニットの研究成果は求められ
研究継続のサポートを受けられるか、否かを
第三者機関が判断するという公正さも携えているとのこと。

沖縄科学技術大学院大学には
90を超える基礎研究ユニットがあり

毎年世界中から百倍の倍率をくぐりぬけた研究者が
探求の環境を求めて
沖縄に集まっていることをはじめて知りました。

沖縄に厳しくも豊かな
知の楽園がある事に驚くとともに
日本の国策の中にこれがある事に希望を感じる見学となりました。

ギリギリのラインで保たれている「平和」と、

美しくデザインされた「未来への希望」と、

台風渦中にありながら

ほぼ晴天の沖縄の陽射しが生み出す陰影と相まった

強烈なコントラストの中、

「子どもは未来である。」

という言葉の意味を
改めて考える機会となりました。

 

主催校のオキナワ・インターナショナルスクール@南城市

大会実行委員会の皆さま、

インターナショナルスクールの高校生ボランティアの皆さま、

現地で出会った皆さまに

心より感謝申し上げます。

 

日本子ども学会の詳細はこちらをご覧ください。

https://kodomogakkai.jp/